純粋な姿



時間が経つにつれその胸騒ぎはどんどん大きくなっていき、
いよいよそれを無視できなくなった僕は、心の声に従うことにした。
水素爆発のニュースを見たのは、新幹線の車内の電光掲示板だったか、品川駅の休憩所のテレビだったか。
あの日から四年が経とうとしています。


東京でのケータリングの仕事が三ヶ月先までキャンセルになって、戻る理由も無かった僕は、そのまま2,3週間ほど大阪の実家で過ごした。
やることも無くぼんやり眺めるテレビからは津波の映像と原発のニュースが繰り返し流れていて、
僕はいったいここで何をしてるんだろう、と思った。
つらい時間を経験している人がいまもたくさんいるのに、僕は暖房の効きすぎたこの部屋で寝転がってテレビを見ている。
そんな自分がどうしようもなく恥ずかしかった。


いてもたってもいられなくなった僕は、祈りしかない!と突然思い立って、奈良県の大神神社へ足を運び、その奥にある三輪山を登ることにした。
往復二時間半のコース。裸足の方が祈りが届きそうな気がして、靴を脱いだ。
山を登りながら「僕の体をお使いください、僕の体をお使いください」と心の中でひたすらに祈り続けた。
僕は何かの役に立ちたかった。今の自分があまりにみっともなくて、なんでもいいから、この世界の歯車のひとつになりたかった。
神様、僕の体を使ってください。
原発のこともよくわからないし、いま地球で何が起こっているのかもわからないけど、
平和のために必要なら僕の体を使ってください。
裸足で二時間半の山登りはつらかったけど、最後まで靴は履かなかった。
その半年後、僕はスピリチュアルな能力が開花した。

祈りが届いたのかはわからない。
けど、今まで生きてきたなかであの時の祈りが1番純粋だったことは確かで、
それはまっすぐで嘘のない願いだったのだと思います。




今日は「prayer’s meeting」という時間を過ごしました。

みんなで祈る。ただそれだけの時間なんて、あまり応募もないかな、と思っていたけれど、
募集してすぐに予約が埋まってキャンセル待ちのお問い合わせもたくさん頂いて驚いた。
日々の時間に追われ、生きることに精一杯の私たちだけど、
純粋な部分では祈りを求めているのだなぁ、と改めて思いました。


自分の幸せは、世界の幸せとつながっています。
自分の幸せを願うことは、同時に戦争も略奪もない平和な未来があることを願っているからです。

幸せへの純粋な祈りは、たとえそれがどんなに自分本位であっても、キラキラして輝いている。
僕はそう思います。


みんなで輪になって、自分のこと、世界のこと、そして今日集まった人達それぞれの幸せを祈りました。
知らない人同志が祈りで繋がり、持ち寄ったお菓子を分け合うその姿はとても美しいものでした。
来てくれる人がいるかなぁ、とドキドキしながら募集したイベントだけど、やって良かったです。

この世界も、私たち自身も、ずっと祈りを求めていて、
平和への方法はもう祈りしかないのかな、とも思います。
これからも続けていきたいと思います。また機会が合えば、お越しくださいね。
お越し下さった皆様、本当にありがとうございました。
持ち寄りのお菓子もとても美味しくて幸せでした。


もうすぐあの日から四年。
あの時の僕に教えてあげたいです。
君の祈りは無駄じゃないよ、と。
あっという間の四年でしたが、僕はいま、とても誇らしく幸せです。



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